建築・インテリア

家族の歴史を知る家

 

私は横浜生まれ横浜育ちの世間で言う “ハマっこ”

しかし実は、2歳から7歳まで父の仕事の都合で5年間だけ東京の田町に住んだことがあります。そして7歳から今の住まいのある保土ヶ谷に引っ越してきて、まもなく60年になります。その間に私は結婚し保土ヶ谷の違うところに居を構えましたが、バブル時設計事務所の過酷な仕事環境で子育てを考えて、私の父母と同居というスタイルで再び7歳から住んでいたこの場所に戻りました。

30年前の平成元年に自分で2世帯住居を設計し建直し30年間暮らしているので、トータルで60年間この場所に居を構えていることになります。時の経つのは早いものです。

この保土ヶ谷の家は、30年前は私の両親と私たち家族4人(当時小2の長男、年長の長女)で6人が住む家でした。6年後、下の娘の長女は中学からイギリスに単身留学してしまい、5人の家になりました。6人の中で一番若い娘が一番早く家を出て行ってしまうという想定外の出来事でした。そしてその4年後の平成10年、父が他界し4人の家になりました。この頃から、私はイギリスと日本を年1,2回行き来し、娘とヨーロッパを観光しつつ建物を見て回り、大学で教えながら設計業務をこなすという多忙だが楽しい日々でした。そして、さらに4年後、つまり家が完成してから14年後、今度は長男が社会人になり、本格的に家を出て行きました。いよいよ6人家族の家が3人、しかも私達夫婦と母という老人住居になりましたが、この14年間はほとんどリフォームせずに6人から3人の家になりました。

家族の変化のある激動の14年間の後の14年間は静かな仕事に邁進する期間でした。28年は振り返ると一つ一つは色んな出来事でしたが、前半は家族の変化の時代、後半は家族の変化のない時代でした。そしてその後、高齢になった母が有料老人ホームに入居し、家ができて28年後私達夫婦2人だけが住まう家になりました。子供たちが結婚し自分たちの家族を持つようになり、この家は私達夫婦2人の住まいとして令和元年を迎えました。

私は両親を支え、子供たちを育て30年間この保土ヶ谷の家を守ってきましたが、家族の歴史を知るのもこの家です。

今や1階は私スペース、2階は主人スペースという贅沢な暮らしですが(笑)それもそろそろ考えようと。。。

(2019年7月30日 ヨコハマNOW投稿)